数日連絡の取れなくなっていた長男

家を出て正解なのだと思った

9月2日

2009年9月2日 日常
高校卒業後学校へ行くことにした次男は
俄然やる気を出している
(遅いっちゅうの)

奨学金やら金融公庫やら
借りまくりになるけど
出来る限りの事をしてあげたいと思っている

ところで民主党は
こんな我が家に何をしてくれる?
子供手当てには該当しないだろうし
私のお給料は上がらないのに
引かれるものは上がるのでしょう

出て行くお金は桁が違ってきてるし

苦しくなる一方でしょう

自民党だったら良かった
とも思わないが

会社、この土地には

9月1日

2009年9月1日 日常
家の中で色々な問題が出てきて

夫と話しをせざるおえない

8月31日

2009年8月31日 日常
敗戦

惨敗

比例にも届かず

涙を呑む


変化を余儀なくされている

どう変わっていくのか

それはそれで

楽しみでもある

8月28日

2009年8月28日 日常
最近牧場に熊が出現して子牛が被害に合っている

こんな山の下まで降りてくるなんて

まだ冬眠の為の食料補給には早いだろうに

山に餌が無くなって来ているのか

あるいは繁殖しずぎているのか

両方かもしれない



数百メートル先の牧場に熊の足跡があったと聞いたけれど

誰もかれもまだまだ人事なのです

怖いです!!

8月27日

2009年8月27日 日常
9月には海援隊のトーク&ライブに行く♪
皆に笑われようと説教くさくて・・・と言われようと
良いのだ^^

次男は最近
今も~聞こえる~あのお袋の声~♪と歌ってるので
それ、それ歌ってる人のコンサートにママ行くんだよ
と自慢しても
全然自慢になっていない(涙)

ああそう、いってらっしゃい
って冷たい返事。

俺も行きたかったなぁくらい言ってよ!!

興味ないのね

物真似でしかこの歌を知らないもね。(沈)

8月26日

2009年8月26日 日常
DVDを観て
久々に
涙が出た。

8月25日

2009年8月25日 日常
長男が家に帰らなくなって
何週間経っただろう



8月24日

2009年8月24日 日常
遊説が終わってから
選対事務所で個人演説

応援に駆けつけた
参議院議員、○○副大臣の話しは
良かった

でも当の本人は
虹がキレイだったと言う
最後はありがとうございますの言葉で締めくくった


8月19日

2009年8月19日 日常
選挙が近くなると
電話をしてくる中学時代の友達がいる

今回は電話してこないぁと思っていたら
本日きましたよ

一生懸命としつこいは紙一重
だけど私は
彼女の話を聞くのは嫌いではない
良く勉強していると関心させられるところもあるから

中学時代の友達の様子も聞けるし
懐かしさもある

この歳になると
亡くなった知らせまである

複雑~な今日の電話

今はまだそれぞれ大変だけど
クラス会は泊まりで出来る時がくるよね
それまで健康でお互いがんばろうね
と言って電話を切る


8月19日

2009年8月19日 日常
お局様の危機
今回新しくなった健康保険証の裏には

臓器提供の意思表示をするようになっている。


3月2日

2009年3月2日 日常
数日ネットがつながらなかった。

ネットが出来なかったら生きて行けないだろうと

思える息子はなんとも寂しそうで

禁断症状だぁ~!(涙)と叫んでいましたが

なんとか今日つながって一安心^^


2月8日

2009年2月8日 日常
ここ数年冬らしい寒い日が少ない。
本来なら今頃
アイスバーンで車通勤の私は
毎日緊張してドキドキしながら運転していた。
朝は会社にたどり着いたらすでに疲れていたし
帰りは渋滞でいつもの倍の時間が掛かって
やっと家にたどり着いていた。 
信号も無い国道なので
みんなスピード出すし、滑るって~(汗

だけどここ数年雪が降っても
数日で溶けてアスファルトが出てしまう。
私は運転しやすくて嬉しいが

地球よ大丈夫か?と本気で心配になってくる。




12月23日

2008年12月23日 日常
最近youtubeで、ものまねの青木隆二をハートの目で毎日観てます。
歌唱力抜群、華がある♪


渡辺知子    かもめが飛んだ日
ゴスペラーズ  永遠に
徳永英明    壊れかけのRadio
美空ひばり   愛燦燦
尾崎豊     十七歳の地図

うまい!!パチパチパチ
それぞれに顔まで変わって不思議。

もっと有ったらいいのに・・。
もっと観たい~。



今日下の子の学校の
三者面談に行ってきた

大学に行くには

お金が足りない・・

しかし

足りないのはお金だけではなかった

成績も足りない・・

お金が無い
成績が無い
行く所が無い

無い無いづくしで
先生と共に暗くなって帰ってきた。




昨日はココに汚物を吐きすぎました。
お掃除お掃除
ココはトイレじゃないのに・・・。
拭き拭き
乱暴な言葉だなぁ
拭き拭き

荒れてたなぁ

でも結構すっきりしたわ~☆


私には足を向けて眠れない人が何人かいる。
いつも気にかけてくれていた。
20年行ってる美容院のTさん。
彼女はもう63歳になる。
「私は青ちゃんの姉だと思ってるよ」と
客と店員以上のお付き合いをしてくれている。
いつまでも元気で私の頭をして欲しい。

なれない営業の仕事をしているときに知り合ったYさん。
彼女も来年60歳になる。
どういうわけか仕事ではあまり協力してもらえなかったけど
気に掛けて「何々があるから取りにいらっしゃい」と
よく電話をくれました。
時には手作りの小物だったり、くだものだったり。
先日1年半振りに逢ったのがその人です。

二人とも私より一回りも年上です。

それから子供を連れて公園デビューした時に
優しく声をかけてくれてから一生のお友達となったMさん。

私がこの土地に来てから知り合った大切な方々です。

辛かった時苦しかった時
助けられました。
存在そのものが私の支えでした。
だから元気にやり過ごしてこれたのです。

辛かったあの頃彼女達には足を向けて寝れないなぁと
感謝していました。

それを今思い出したのです。
忘れていた間って
私きっと幸せだったのですね^^

もっともっと思い出そう
感謝していた人たちを
今こうして自分が居れる事に感謝しながら☆

すっごくすっごく
心が
晴れてきた♪



11月26日

2008年11月26日 日常
追い討ちをかけるなぁ
全く!
これ以上私にどうしろって言うんだよ!

春まで家に居るつもり?
毎年言ってる
だけど何も変わらない。

私一人のお給料でどうするつもりなんだよ!

結局毎年そう言って何とかなってるから
変わらないのだろうか・・・。

折角
折角
気持ちを切り替えて
行こうと思っていた矢先だ!

夏の間は休みも無く
お疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。

って、言えるか~!
私立に行ってる息子が居るんだぞ!
わかってるの?

私が居なければしっかりするのかな。
そういえば息子(長男)がそんな事言ってたな。

出て行こうか?

私が出て行けば良いのかい?

そしたら
しっかりするのかい?
夫よ。
息子(長男)よ。

だけど心配せんでいい
私は長生きしないから
そしたらしっかりそれなりに
生きていくんでしょう。

それまで辛抱するか
出て行くか
私のこの後ろ向きの性格を何とかして
明るく行くか

しかたない後者で努力しますか!






11月20日

2008年11月20日 日常
父はいつものようにテレビに向かって座っていた。
「おう、青、来たか」と普通で、別に嬉しそうな顔もしない。
だけど夜父は寝る時間になっても
他愛ない話しをして
なかなか寝巻きを着ようとしない。
次の日たった1泊で帰るわたしを
見送ることもせず
「じゃあ帰るからね」
「おっ」
と来たときと同じように
テレビに向かって座ったまま。
姉が「父さんは(見送るの)寂しいんだよ」と言った。

そうか・・年に2.3回しか顔を見せない娘に文句を言うこともしない。

義母は杖をつきながら
おぼつかない足で私と一緒に外に出ようとする。
危ないからと家の中でお別れしても
私が外で車を待ってると
そろ~り、そろ~りと重たい戸を開けて出てきてしまう。
段差もあるし戸も重たくて転んでは危険だからと
家に戻す。
しかしまたまた
そろ~り、そろ~りと戸が開いて
義母が出てきてしまった。

姉が「もういいから行こう」
と言うので、車に乗り込んで
手を振ると
義母もいつまでも手を振っている。
もう逢えないのかと思う程の手の振り方だ。
義母が家へ嫁に来てくれたときからそうなのです。

まったく・・・。
寂しいかと思って顔を出して
そして帰る時は帰る時で又寂しくて・・・。
そばに居れたら良いのにと思うけど

又来るよ、お正月、すぐだよ。


姉が些細なことで怒ったりしていた。
父の所へきても1.2時間で帰ってしまうし。
来ても座ることなく洗濯したり掃除して動き回ってるから
疲れてるんだなぁと思っていたが
余りにも理不尽な事でキーキーと怒るので
「いい加減にしなよ!!」
と言い返してしまった。

すると父が
「青、怒るな。○○(姉)は一杯一杯なんだ。
 俺と、(再婚した)旦那さんとお姑さんの事で。
 疲れてるんだ。
 青、時々電話してやってくれ。
 無駄話も人間には必要だから」と

「分かってるよ」(ん?なんかこの親子同じ事言ってるなぁ。)
( 姉は姉で父さんに時々電話してあげて。一日中テレビばかり
 観てるし呆けないようにね、電話してあげてね。って)

分かった家族間通話料無料の手続きしよう!!
私は父に姉に、そして兄に報告の電話しなくちゃ。
親っていつまでもこのままのような気がしてたけど、そうでもない
ような気もしてきた。

しかしこの父。
昔はちゃぶ台返しもしたし、亡くなった母に暴力も振るった。恐かった。
私たち子供は父に対して恐怖ばかりか憎しみさえも抱いていたはずなのに・・・。

変われば変わるものだ。
今は少しでも幸せに長生きして欲しいと
願っているよ。



実家のお義母さんが最近
ベットで寝ている事が
多くなったらしい。
父が65歳の時再婚してくれた女性(ひと)。

母が逝って2年後に再婚した。
二人で居てくれたから私は安心して
自分の生活をしていられた。
父より5歳年上だから
今年85歳・・。
父も今年大腸癌の手術をしてあまり元気が無い。
近くに住む姉が毎日顔を出してくれるので
とてもありがたい。

お義母さんが以前に言った言葉

「二人で手を繋いで町内を散歩するんだけど・・
仲が良いですねと言われるけど、いい年をしてと思われてるかも
しれないけど、仲が良いばかりで手を繋いでるわけでは無いんだよ。
一人で歩くと右へふらふら、左へふらふら
真っ直ぐ歩けないから支え合ってないと危ないからなんだよ」

二人の人生そのもの。
深く感銘しました。
ここ数年はそれも危なくて散歩をしてないようです。
私に出来るだろうか・・・。


朝よろよろ、ゆっくりゆっくり
食事の仕度をしているお義母さんを
手伝おうとすると
亡くなった私の母にお供えするご飯は
「私はこれをするために嫁にきたんだから」
とゆっくりゆっくり仕度している。
思わず「ありがとう」
と言って感謝、尊敬の気持ちで一杯になりました。
私にそんな謙虚で崇高な心を持って老後を
過ごすことが出来るだろうか・・
出来ないな・・・。

そんな義母も
入院した時は呆けてしまって
毎日父と病院に行っていた姉を泥棒呼ばわりして
有もしない数千万円のお金を取ったと
言った。お義母さんの息子(50半ば)が姉をひどく
傷つけた。誤解は解けたがその息子の事は今でも許せない。
お義母さんは退院したらそんな事を言ったことなど
忘れてて正常に戻ったので私たちもその事には触れなかった。

事の最中
父が涙ながらに
「病気が言わせてるとはいえ
 つらいなあ・・」と私に訴えた。
私は父も姉も良くやったと思う。
お義母さんが呆けた事を言っても
決してそうじゃないよ、違うよと否定してはいけないと
父と姉は勉強し

「財布に70万、いや700百万入ってたのに
 ○○ちゃん(姉)が取ったよ、お父さん」
「そうかそうか、後で財布の中見てみようね。」
「そうかそうか○○(姉)に訊いてみるね」
さぞかし父は辛かっただろう。
姉の心中を思うと可哀想でならなかった。
話は数千万円まで上っていった。

今でも義母に対しては
感謝と尊敬をしてる。
毎日様子を見に行ってくれる姉には
感謝してもしきれない、頭が上がりません。

今度の土日
下の子が修学旅行で居ないので
バスで3時間半
実家に帰ることにしました。
「待ってるからな。気をつけて来いよ」
と父。
何もしてあげられない娘で申し訳ないけど
待っててね。


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